支出の履歴を整理して、AIに見せてみました。家計簿アプリの数字をそのまま投げるというより、日付と金額と用途を並べて、「これは必要」「これは贅沢」といった自分のラベルは付けずに渡しました。自分の解釈を先に混ぜると、AIの返答が自分の言い訳の延長になる気がしたからです。なるべく生の形で見せて、「無駄な支出はどれか」とだけ聞きました。
返ってきた答えは、予想よりも冷静でした。食費、サブスク、コンビニ、交通、細かい嗜好品。カテゴリごとにパターンが抽出されて、「ここは頻度の割に満足度が低そう」「ここは固定費として肥大化している」といった指摘が並ぶ。その中で、いちばん刺さったのは、金額の大きさではなく、理由の薄さでした。高い買い物より、細かい支出のほうが、自分の心の動きが露骨に出ていた。
「無駄な支出はどれか」と聞いた結果、感情的な理由で選んだものが、はっきり浮かび上がりました。例えば、疲れた日に買う甘いもの。落ち込んだ日に増える小さな課金。予定の合間に寄るカフェ。どれも一つひとつは正当化できる。むしろ「これくらいはいいだろう」という温情で守られている。でも履歴として並べると、温情の回数が可視化される。温情が積み重なると、いつの間にか固定費みたいな顔をする。
自分が使っていたのは、満足感よりも安心感のためのお金でした。安心感というのは、贅沢の安心ではなく、「今日もなんとかやれた」という小さな延命の感覚です。ストレスが減るというより、ストレスに触れないで済むような膜を買っていた。習慣で続けていた支出も同じで、必要だから払っているというより、「やめる判断をしたくないから」払い続けていた。やめて後悔する可能性を避けるために、毎月少しずつ保険料を払っているみたいだった。
AIは、それらを淡々と指摘してきました。責めることも、否定することもありません。「これは無駄だからやめろ」とも言わない。代わりに、「目的が曖昧」「頻度が高い」「代替可能」といった言葉で分類してくる。そこが少し不思議でした。人間に言われると反発しそうな内容が、AIに言われると反発しにくい。たぶん相手の人格がないから、攻撃された感じが生まれない。責められていないのに、自分のほうが勝手に恥ずかしくなる。恥ずかしさは、支出そのものより、「自分が不安を隠していたこと」に向いていた。
お金の使い方には、人間の不安が強く表れる。そう感じた体験でした。不安は「無駄遣い」という言葉にすると道徳の話になるけれど、実際はもっと生活に近い。孤独を薄めるための支出。焦りを消すための支出。自分を褒める代わりに払う支出。どれも、贅沢というより、感情の調整装置だった。AIはそれを「無駄」と断定しない。ただ、支出の形から目的の匂いを嗅ぎ分けて、こちらの目の前に置く。
ここで価値観が変わった、というより、価値観の輪郭が変わりました。「節約しよう」と思ったわけではなく、「自分は何に安心を買っているのか」を知ってしまった感じです。知ると、同じ支出でも意味が変わる。例えばカフェに寄ることが、単なる嗜好ではなく、「次の予定に向かう前の退避」だったのだと分かる。すると、カフェを削るかどうかの前に、「退避が必要な生活になっている理由」が気になってくる。支出を減らす話が、生活の設計の話にずれていく。
AIに見せたのは数字なのに、返ってきたのは自分の感情の影でした。無駄の指摘は、正しさの提示ではなく、鏡の提示に近かった。鏡を見たからといって、すぐに行動が変わるわけではない。でも、同じ支出をするときに「今、自分は安心を買っている」と気づいてしまう。その気づきは、少しだけ痛いし、少しだけ自由でもある。次に買うかどうかを決める前に、買う理由が見えてしまうからです。
結局、AIが変えたのは支出の一覧ではなく、自分が自分にしていた説明の仕方だったのかもしれません。必要、当然、ちょっとしたご褒美。そういう言葉の裏に、不安が混ざっていた。AIは不安を消してくれないけれど、不安がどこから漏れているかを示してくる。お金の話なのに、最後に残ったのは「自分は何を怖がっているのか」という問いでした。


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