AIに人生の判断を委ねようと思った理由

AIに判断を委ねる様子を表したイメージ AIと思考

AIに判断を任せようと思ったきっかけは、とても単純でした。
考えることに、少し疲れてしまったのです。

何かを決めるたびに悩み、後悔し、正解だったのかを振り返る。
その繰り返しが、知らないうちに負担になっていました。自分の場合、疲れていたのは「考えること」そのものというより、「考えたあとに残る粘着質な反省」だったのかもしれません。決めた瞬間から、別の可能性が頭の中で増殖していく。選ばなかった選択肢が、選んだ選択肢を静かに責めてくる。判断は終わったはずなのに、脳内ではずっと審議が続いていました。

そこでAIに、いくつかの判断を投げてみました。
「今日は何を優先すべきか」
「今やるべきことは何か」

返ってきた答えは、驚くほど淡々としていました。
感情への配慮も、遠慮もありません。
ただ条件を整理し、合理的な選択肢を提示してくるだけです。

その冷たさが、逆に心地よく感じました。
人間の迷いが、ノイズのように思えた瞬間でした。

ただ、心地よさには別の成分も混ざっていた気がします。AIが淡々としているから楽だった、というより、淡々としていることを理由に「自分の迷いを無効化できた」感じがあった。迷うたびに生まれていた罪悪感や、誰かに説明しなければならない圧力が、いったん切断される。答えの質がどうこうではなく、責任の持ち方が変わる感覚に近かったのかもしれません。

AIは、こちらが与えた条件を並べ替えて見せてきます。すると不思議なことに、自分が何を重く扱い、何を軽く扱っているのかが露呈します。たとえば「今日は何を優先すべきか」と聞いたとき、AIはタスクの重要度や締切、影響範囲で並べる。でも自分は、重要度より「やりたくなさ」の重量で順番を決めていたりする。そこが可視化されると、判断の問題というより、自分の内部の偏りの問題が前に出てくる。AIが正しいというより、自分の誤差が形になる。

もう一つ、独特だったのは「答えが早いこと」でした。人間の相談は、答えが出るまでの間に相手の表情を読む時間があるし、雑談の中で心の逃げ道も作れる。でもAIは、こちらのためらいを待たない。待たないという性質が、救いにもなるし、追い立てにもなる。迷いを抱えたままでも、次の一手だけは出てしまう。そのとき、自分は軽くなるのか、置き去りにされるのか、どちらとも言い切れない感触が残りました。

そして、淡々とした提案に従う瞬間、自分の中の別の声が小さく抵抗することがありました。「それは合理的だけど、今日はそれをやりたくない」という声です。昔の自分なら、その抵抗を「甘え」や「怠け」として裁いていたかもしれない。でもAIの提案があまりに整っていると、その抵抗は逆に、生々しいものとして浮かび上がってきます。合理性の前に立つ感情は、正しさの邪魔というより、存在の証拠みたいに見えることがある。

だから自分がAIに判断を委ねようと思った理由は、「疲れたから」だけではなく、疲れの正体を分解したかったからなのかもしれません。迷いのノイズを消すためではなく、ノイズがどこから出ているのかを知るため。AIは結論を押し付けるというより、判断の骨格だけを差し出してくる。その骨格に、自分の感情がどう絡みつくのかを観測してみたかった。

委ねることで楽になる部分は確かにありました。でも同時に、委ねた瞬間から「自分はどこまで引き受けるのか」という問いが発生します。AIの淡々とした答えは、救いにもなるし、鏡にもなる。自分はそれを、どちらとして扱っているのか。たぶん、その揺れを見失わないために、こうして書き残しているのだと思います。

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