AIに「今日は休むべきか」を聞いてみた

休息と判断の間を表現したイメージ AIと健康

体調が微妙な日、AIに「今日は休むべきか」と聞いてみました。感情ではなく、状況を入力して判断を求めました。熱はないけれど重い、集中が続かない、眠りが浅かった、今日の予定は動かせる部分と動かせない部分がある。そういう断片を並べて、「自分の根性」ではなく「条件」で答えを出してもらう。そこには、体調より先に罪悪感が立ち上がってくる自分を、一度どかしたい意図がありました。

返ってきた答えは、意外とあっさりしたものでした。「休んだほうが合理的」という結論でした。理由も淡々としている。今無理をすると回復が遅れ、翌日以降のパフォーマンスが落ちる可能性がある。重要度の高い用事がないなら、回復を優先するほうが期待値が高い。まるで天気予報みたいな文体で、休みが提案される。そこに「頑張れば何とかなる」も「気合で乗り切れ」もない。

人間なら「もう少し頑張れる」と言い訳をするところです。AIはそれをしません。というより、言い訳という概念が存在しないように見える。自分はここで少し引っかかりました。AIが合理的だから休みを選ぶ、という話ではなくて、AIは「頑張りたい」という感情を、基本的に判断材料として扱わない。頑張りたい気持ちが強いほど、こちらとしては「休む」という選択が裏切りに見えるのに、AIはその裏切りの構造を知らない。知らないまま、最短距離だけを示してくる。その無邪気さが、少し冷たい。

同時に、冷たさが救いにもなりました。休む判断を自分だけで下すと、必ず「本当に休むほどか?」という尋問が始まる。体調を客観的に測る道具が少ないから、心が裁判官になり、被告人にもなる。どちらも自分で、判決だけがやけに厳しい。AIの答えは、その裁判を強制終了させる力がありました。「休むほうが合理的」という一行は、免罪符ではないのに、なぜか胸のあたりを軽くする。

ただ、その軽さの中には、別の怖さも混ざっていました。AIの判断に従うと、休むことが「正しい」ではなく「合理的」に変換される。正しい/間違いの倫理から、損得の計算に移される。損得の計算は、心に優しいときもあるけれど、どこか味気ない。休むのは弱いからでも、怠けているからでもなく、単に期待値の問題です、と言われると、逆に「自分の苦しさは数字で置き換えられる程度なのか」と思ってしまう瞬間もありました。人間は、ときどき自分のしんどさを“物語”として扱いたがる。

そして、休むことへの罪悪感は、人間特有のものなのかもしれません。AIの判断は、その感情を必要としませんでした。罪悪感は、頑張りの証明として機能している気がします。罪悪感があると、「本当はやるべきことを分かっている」という姿勢を保てる。やらない選択をしても、心の中で罰を受ければ、まだ真面目でいられる。休むことそのものより、真面目さを失うことが怖い。AIはその怖さを前提にしないから、罪悪感という支払いを求めてこない。

でも、支払いを求められないと、逆に不安が出ることもあります。罪悪感を払わずに休んでいいのか、という不安。休みのコストをどこかで清算したい感覚。ここで自分は、罪悪感が「痛み」ではなく「秩序」だったのかもしれないと感じました。罪悪感があると、世界がまだルール通りに回っている気がする。苦しいが、分かりやすい。AIの提案は、その分かりやすさを奪う。合理性は整っているのに、心の秩序は揺れる。

結局その日は、AIの言う通りに、予定をいくつか減らして横になりました。劇的に回復したわけではないし、完全に罪悪感が消えたわけでもありません。ただ、休んでいる間ずっと、「これは正しい休みなのか?」と自分を監視する声が少し弱まっていた。それだけでも、AIに聞いた価値はあったのかもしれない。

AIは「休む」を提案できる。でも「休むことを許す」は、こちら側の仕事として残る。判断を委ねても、感情までは委ねられない。むしろ、委ねたからこそ、罪悪感の輪郭がはっきり見えた。自分は何を恐れて休めないのか。その問いだけが、休んだあとも静かに残っています。

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