AIの回答を見ていて感じたのは、「感情が判断を歪めている」という事実でした。歪める、という言葉は少し強いかもしれない。けれど少なくとも、自分の中では、判断そのものより先に感情が席を取ってしまう場面が確かにあった。判断が始まる前から、すでに結論の方向が決まっていて、理由はあとから追いついてくる。AIの返答を読むと、その順番の逆転が目立つ。
人間は不安や期待、恐れによって、判断基準を簡単に変えてしまいます。昨日まで「健康が最優先」だったのに、締切が近づくと「多少無理してもやるべき」に切り替わる。誰かの一言で、「自分のペース」が急に罪悪感に変換される。判断基準は固定された物差しではなく、その日の気温みたいに変わる。自分はそれを自然なこととして扱ってきたけれど、AIの視点に触れると、自然さがそのまま脆さにも見えてくる。
AIはそれをしません。少なくとも、そう見える。入力された条件を整理して、整然とした手順に変換して返してくる。そこに漂うのは「迷いの手触り」ではなく、「整理の手触り」でした。読む側の自分がどれだけ動揺していても、返ってくる文章は体温を持たない。その体温のなさが、妙に安心だった。誰かに相談するときのように、相手の反応を気にしなくていい。慰めを期待して裏切られることもない。ただ、線だけが引かれる。
例えば「休むべきか、続けるべきか」という問いに対して、AIは状況と条件だけを整理します。疲労の程度、締切、代替手段、長期的な影響。そこに「頑張りたい」「不安だから」という要素は入りません。少なくとも、こちらが入れない限りは。だからこそ、自分の中で一番大きかったはずの感情が、判断の外側に置かれる。まるで、重要な部品なのに仕様書に載っていないものみたいに扱われる。
正直に言えば、少し怖く感じました。でも同時に、納得もしていました。怖さの正体は、AIが冷たいからというより、冷たさが成立してしまうことへの驚きだったのかもしれない。感情を抜いた判断が、あまりにも筋が通って見える。筋が通っているがゆえに、感情が「邪魔」に見える瞬間が生まれる。自分の迷いが、ただのノイズのように感じられてしまう。
ただ、その瞬間にもう一つの違和感も湧きました。感情が邪魔なら、邪魔なものは捨てればいいのか。そう言い切ってしまうと、人間は何で判断するのか。感情は歪みでもあるけれど、同時にセンサーでもある。危険を察知したり、限界を告げたり、逆に「これだけはやりたい」と方向を指したりする。誤作動もするけれど、完全に取り外したら、別の事故が起きる気もする。AIの冷静さは、そのセンサーを「不確実な情報」として棚に上げてしまう。棚に上げられた側の自分は、少し置き去りにされる。
感情は大切ですが、常に正しいとは限らない。AIの冷静さは、その事実を突きつけてきます。同時に、自分にとっては「感情が常に正しくないなら、どこまで採用するのか」という別の問いも立ち上がりました。感情を信じるのでも、排除するのでもなく、どの局面でどの程度混ぜるのか。その配合の揺れこそが、人間の誤差として残り続けるのかもしれません。AIの冷静さは答えをくれるというより、その誤差をくっきり見せてくる。見えたあと、どう扱うかは、まだ決められていません。


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