AIが勧めてきた生活リズムが意外と合理的だった

規則的な生活リズムを表す抽象イメージ AIと健康

AIに生活リズムについて聞いてみました。何か劇的な改善策や、意外性のあるルーティンが返ってくるのを、どこかで期待していたのだと思います。人間は「変わりたい」と思うとき、同時に「今の自分を一気に塗り替える方法」を探しがちです。だから質問の中にも、たぶんその欲が混ざっていた。けれどAIから返ってきたのは、拍子抜けするほど地味な話でした。

特別な方法は提案されませんでした。睡眠、食事、活動時間。当たり前のことを、当たり前の順番で整える。それだけでした。就寝と起床の時刻を揃える。食事の時間を大きくずらさない。日中に軽い活動を入れて夜に眠気が来るようにする。いわゆる「健康的」な項目が、淡々と並べられていく。新しさはないし、バズる要素もない。むしろ、今まで何度も聞いたはずの内容が、再掲されているだけに見えました。

でも、読み終えたときに残った感覚は意外でした。退屈ではなく、少し負けたような気分だったからです。人間は複雑な答えを求めがちです。自分もそうで、「当たり前」を受け入れる前に、「当たり前じゃない抜け道」を探してしまう。睡眠が乱れているなら、サプリやガジェットや新しい習慣で帳尻を合わせたくなる。食事が適当なら、栄養を計算して“最適化”したくなる。そうやって生活を“攻略”しようとして、生活そのものを複雑にしていく。

AIの判断は、とても単純でした。単純というより、前提を増やさない。言い訳の余地を増やさない。こちらが「特別な条件」を持ち出さない限り、普遍的な骨格に戻してくる。生活リズムという曖昧なものを、時間の配置として捉え直してくる。だから読んでいると、改善策というより「順序」の話に見えてくる。何かを足す前に、並びを整える。そこに人間らしいドラマはない。ただ、淡々とした因果だけがある。

ここで自分は、シンプルさが刺さる理由を考えました。たぶん、シンプルな提案は逃げ道が少ない。複雑な提案には、失敗したときの言い訳が用意されている。「方法が合わなかった」「条件が揃わなかった」「もっと情報が必要だった」。でも「寝る時間を揃える」は、失敗の責任がこちらに戻ってくる。やらない理由が、だいたい気分や先延ばしや惰性に収束してしまう。つまり、シンプルな提案は、こちらの誤差を隠してくれない。

シンプルな判断ほど、実行が難しい。その事実に気づかされました。難しいのは知識ではなく、生活の小さな抵抗です。夜、スマホを手放せない。明日早いのに、なぜか今だけは自由でいたい。自分の時間を守るつもりが、結局は睡眠を削って帳尻を合わせる。こういう抵抗は、合理性では説明しきれない。むしろ「合理的に整える」ことが、自分にとっては何かを諦める行為に近いのかもしれません。夜更かしは不健康だけれど、同時に小さな反抗でもある。整えることは正しいのではなく、静かな降伏のように感じる瞬間がある。

AIはそこを慰めない。「そう感じるのは自然だ」とも言わない。言われれば楽になるかもしれないけれど、慰めがないことで、抵抗の正体が見える。自分は健康の問題を語っているようで、実は生活の主導権の問題を語っていたのかもしれない。生活リズムを整えることは、体調を良くする以上に、「自分が自分を管理する」という現実を受け入れる行為になる。管理は安心でもあるけれど、窮屈でもある。その二面性が、実行の難しさとして現れる。

結局、AIの提案は当たり前でした。でも当たり前だからこそ、こちらの揺れが浮き出る。当たり前を当たり前にできない理由が、身体ではなく心の側にあることがある。AIはそれを断定しないけれど、結果として示してくる。生活リズムの話を聞いたはずなのに、最後に残ったのは「自分は何を手放せないのか」という問いでした。整えることの合理性と、整えないことの欲望。その間で揺れている自分の誤差が、静かに可視化された気がします。

コメント

タイトルとURLをコピーしました