AIに1日の予定を全部決めさせてみた結果

整理された時間の流れを表す抽象イメージ AIと日常

ある日、1日の行動をすべてAIに委ねてみました。起きてから寝るまで、判断はしないと決めました。ここで言う「判断しない」は、完全に思考停止するという意味ではなく、選択の分岐点に立ったときに、自分の癖で舵を切らないという意味です。いつもなら「ついでにこれも」「せっかくだからあれも」と増殖する予定を、いったんAIの型に流し込んでみる。自分を透明な容器として使う実験でした。

AIが作った予定は、驚くほどシンプルでした。無駄な移動や、意味のない作業が削られていました。朝はこれ、昼はこれ、夕方はこれ、というふうに、ブロックが並ぶだけ。そこには「気分転換にカフェ」「勢いで寄り道」みたいな、人間が好きな余計さが入っていない。予定の文章も乾いていて、励ましも叱責もない。やる/やらないの二値が静かに置かれている感じでした。

実際に過ごしてみると、「やることが少ないのに、充実している」そんな感覚がありました。予定をこなした達成感というより、頭の中が散らからないことが、こんなに体力を残すのか、と驚いた。普段の自分は、行動の量ではなく、選択の回数で疲れていたのかもしれません。「今これをやるべきか」「先にあれを片づけるべきか」という小さな審議が、いちいち脳内で開催されていた。AIの予定は、その会議を開催させない。会議がないだけで、1日は驚くほど静かになる。

ただ、静かさには別の音も混ざっていました。予定がシンプルすぎると、ふいに不安が出てくる。「これだけでいいのか」「もっと詰め込んだほうが正しいのではないか」という、根拠のない焦り。面白いのは、その焦りが、疲れているはずなのに「空白」を恐れていることでした。忙しさは、成果というより免罪符として機能していたのかもしれない。何かをしていれば、少なくとも自分を責めずに済む。AIの予定は、免罪符を剥がして、空白のまま立たせてくる。

それでも、1日を終えたときの体感は軽かった。やり残しはゼロではないのに、「ちゃんと生きた」感じが残る。ここで気づいたのは、充実感が必ずしもイベントの多さから生まれないことです。むしろ、迷いが少ないこと、移動が少ないこと、次の行動に向かうまでの摩擦が少ないことが、充実感の土台になっている。自分は充実を「足し算」だと思っていたけれど、AIは「引き算」で作ってきた。

人間は、やらなくていいことを増やしすぎているのかもしれません。増やしているというより、増やさないと落ち着けない、と言ったほうが近い。やらなくていいことには、たぶん理由がある。未来への不安を薄めたり、退屈から逃げたり、誰かに「ちゃんとしている」と見せたり。そういう意図が、予定の端々にこびりついている。AIはそこを剥ぎ取る。でも剥ぎ取られた瞬間、こちらの意図のほうが露出してしまう。「忙しくしていたい」という欲求が、予定の穴から覗く。

AIの判断は、その余白を強制的に作ってくれました。ただ、その余白は「休み」ではなく、「何もない時間がある」という状態です。休みは許可されるものだけれど、何もない時間は自分で耐えないといけない。予定が少ない日のほうが、心がうるさくなることがあるのは、そのせいかもしれません。AIが作ったのは余白であって、安らぎではない。余白ができた結果、自分の中の雑音が聞こえやすくなる。

だからこの実験は、効率化の話というより、沈黙の観測に近かった。AIに委ねると、時間が整う。その代わりに、整った時間の中で自分が何を感じるのかが、逃げ場なく見えてくる。予定を増やしていたのは、時間を埋めるためではなく、感情を埋めるためだったのかもしれない。そう思ったところで、じゃあ明日も委ねるべきかは、まだ決められていません。決めないまま、余白だけが残っています。

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