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AIと人間の思考の境界を表す抽象イメージ このブログについて

このブログは、AIに判断を委ねたときに何が起きるのかを、できるだけそのまま残していく観測ノートです。結論や教訓を引き出すためというより、判断の過程で生まれるズレや、あとから立ち上がってくる違和感を、消さずに記録する場所にしたいと思っています。

自分たちは日常のほとんどを、判断の連続で生きています。買うか買わないか、続けるかやめるか、連絡するか黙るか。判断は「合理性」だけで作られているように見えて、実際は疲労や機嫌、過去の成功体験、誰かの視線みたいな要素に引っ張られていることが多い。むしろ、その引っ張られ方こそが人間らしさだとも感じます。

一方でAIは、気分の波や体調を持たない前提で返答してきます。同じ条件を与えれば、だいたい同じ方向へ収束する。その安定感は安心でもあり、同時に薄い怖さも含んでいる気がします。自分が迷っているときほど、迷いのない言葉は魅力的に見える。でも、その魅力がどこから来ているのかを見誤ると、判断そのものがすり替わってしまうかもしれない。

ここでは、日常の小さな場面でAIに選択肢を出してもらい、それに従ったり、従いきれなかったりしながら、「人間側にどんな誤差が出たか」を書き留めます。従った結果うまくいった、という話だけではなく、従うこと自体に抵抗が出た瞬間や、うまくいったのに落ち着かなかった感覚も含めたい。後悔や納得の揺れは、合理性の外側にある情報として扱える気がするからです。

このブログで大事にしたいのは、AIの言葉を神格化しないことと、人間の直感を美談にしないことの両方です。AIが冷たいから正しい/人間が温かいから尊い、みたいな単純な構図には乗らない。どちらにも偏らず、ただ「委ねてみた」「こう返ってきた」「自分はこう歪んだ」と並べていく。判断を誰かに預けたとき、安心が増えるのか、責任が薄まるのか、それとも別の緊張が生まれるのか。その揺れを、記録として残します。

読んだ人に何かを断言したいわけではありません。むしろ、読み終えたあとに少しだけ判断が遅くなる、みたいな変化が起きたら十分かもしれない。自分の中で当たり前になっていた選び方が、ほんの少しズレて見える。そういう余白が、このブログの存在理由になり得ると思っています。

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